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  ◆ エッセイ ◆
 
極真空手
 
青森県八戸分支部の
 
「 今昔物語 」

 
※※※※※※※※※※
 
どうぞ
お楽しみください。

分支部長より 
- エッセイその[1]- (5/3)
 
 皆さん、元気ですか?
 

 私は現八戸道場を

 立ち上げてから

 初めての

 まさかの

 活動自粛を

 受け入れています。

 



 そこでこの一週間

 朝のランニングを

 始めました・・・。
 



つづく 

- エッセイその[2] - (5/4)
 
 家から急な上り坂!
 



 ものの300メートルくらいで

 心臓が苦しくなり

 ヒザの上の筋肉が

 ひめいを

 あげました。
 




 なまるにも

 ほどがあるだろうと

 ショックを受け



 それでも予定の3分の1を

 走って



 あとは歩いて戻りました。
 



つづく 

- エッセイその[3] - (5/5)
 
 考えてみると

 自主的に走るのは

 20代の現役のころ以来

 30年以上もたってから。





 
 いきなり走るのも

 ムリというもの。




 

 痛む足をひきずり

 トボトボと歩きながら



 カッコつけて

 突きと下段払いを

 していました。
 



つづく 

- エッセイその[4] - (5/8)
 
 道路というものは

 昇りと下りがあります。
 




 昇りは、太モモの裏と

 ヒザの後ろの上側の筋肉

 そして、心臓が悲鳴をあげ
  



 下りは、太モモの前と

 スネの前にある筋肉が

 痛みます。
 





 何日かは、平地だけ走り

 昇りと下りは歩いて

 ようすをみました。
 









 まるで、おじいさん!
 



つづく 

- エッセイその[5] - (5/8)
 
 そうこうしているうちに
 5日目。
 

 ついに
 最初の予定のコースを
 走破しました。
 まあ、半分は歩きですが。
 

 足の痛みもだいぶ少なくなり
 心臓もあまりドクン・ドクン
 いわなくなりました。
 

 そうなると
 自分のカラダの
 細かいところに意識が
 いくようになりました。
 



つづく 

- エッセイその[6] - (5/9)
 
 一歩ふみだすと
 足のウラから力が伝わり
 足首、スネ、ヒザ、股関節
 背骨、クビと連動するのが
 わかります。
 

 ただし
 ユックリと走ったり
 歩くことによって
 わかると思います。
 

 ただただ
 ダッシュするだけだと
 チカラはつきますが
 ケガのおそれもあります。
 



つづく 

- エッセイその[7] - (5/10)
 
 私は若いころ
 右の股関節を故障したので
 あまりムリはできませんが


 池田師範のおかげで

 やっと
 ユックリ動くケイコの
 大切さを学びました。
 

 ただ、ゆっくりランニング
 するだけでも
 空手のケイコに
 結びつけるのは
 大切なことだと思います。
 



つづく 

- エッセイその[8] - (5/11)
 
 
 さて、今日は少し
 話を変えます。


 私がランニングをする時間は
 朝の5時か6時からです。


 この頃、年のせいか
 朝4時にめざめてしまい
 ますので

 今までは
 テレビのニュースや
 録画した番組を見て
 いましたが

 道場の稽古もなくなり

 皆さまと会えなくなり

 超サビしいです。


 心なしか
 体もむくんできたので
 
 今まで
 あえて避けてきた
 ランニングに挑むことに
 しました。


 チョー キツイ!
 




つづく 

- エッセイその[9] - (5/12)
 
 
 またまた話題を変えます。
 私がランニング
 している所は
 白山台といって
 山を切り開いて
 造った新興団地です。
 

 今では青森一
 とも云われる
 マンモス団地ですが
 40年前は
 本当に山の中でした。


 そのため
 今でも朝に走っていると
 色々な動物に
 出会える事があります。


 中でもうれしいのは
 キジなどの大型の鳥
 などです。

 特にオスは
 本当にキレイです。


 ヤマドリやヤマバトや
 小さい鳥
 (よくわかりませんが・・・)
 が、いっぱいいます。

 ヘビの死ガイも見ました。

 キツネが長いシッポを
 伸ばして走っている姿も
 見ました。
 
 

 そして、ついにアイツと
 ソウグウしたのです。


 朝の4時30分ごろ
 普段は行かない山道を
 走っていました。

 道はダートですが
 田んぼもあり
 直線で300メートル
 くらい先には
 民家も見えています。

 折り返し地点で
 一息いれて、戻っていくと
 何か視線を感じます。
 


 よく見ると
 電柱のかげから
 「正体不明の
 デカい四足獣」が
 こちらを見ています。


 野生の瞳と
 バッチリ目があいました。


 おもわず叫びました。
 「うお!? カモシカ!!
 
  シカと云っても
 ウシの仲間~~~。」
 




つづく 

- エッセイその[10] - (5/13)
 
 
 私の声に驚いたのか
 カモシカは、ダッシュして
 ガードレールを乗りこえ
 3メートル下の
 浅い川にとびおり
 息も切らさず
 こちらを見ています。
 ヒトにはできない動きです。
 (もともとヒトでは
 ありませんが)


 そのうち、ガサガサと
 ヤブの中に入り
 去っていきました。


 正直、ホッとしましたが
 もし闘ってケガをしたら
 新聞に載るかも?
 と思いました。


 こんな見出しです。
 「空手家
 朝のランニング中
 カモシカとそうぐう!
 ケガを負う。」


 極真空手の創始者
 大山倍達総帥は
 ウシと戦い、これを
 倒してのけましたが
 孫弟子である
 山岸先生は、カモシカに
 負けたのね!ショボッ!!
 と、道場生に笑われそうで
 これには参る。
 
 などと、いらない想像を
 した、朝のランニング
 でした。
 



つづく 

- エッセイその[11] - (5/14)
 
 ランニング編
 いよいよ最終回です。


 「ラン アンド 徒歩」は
 まだ続けますが
 予期せぬニュースが
 飛び込んできました。


 例のカモシカ君と
 ソウグウした近くで
 クマ君が2頭、出現
 したそうです。


 まァ、このへんのクマは
 ツキノワグマなので
 私よりは
 小さいと思いますが
 「クマはクマ!」

 チョー キケンなので
 山道を走るエッセイは
 自シュクさせて
 いただきます。
 
 
 次回からは
 私のカイコロク
 (漢字で懐古録と
       書きますが)
 を細々と書いて
 いきたいと思います。
 
 たいした事のない
 空手家としての
 私の人生を
 このような時代ですので
 想い出してみたいと
 思います。


 1回目は、ソンケイする
 池田師範の巻です。
 



つづく 

- エッセイその[12] - (5/15)
 
 私が極真空手に
 入門したのは
 大学を卒業した年の
 11月でした。
 小学生のころから
 極真空手を
 モチーフとしたマンガを
 見て育った私は
 「オラ、
 いつか空手やるゥ!」
 と幼い胸をふくらませて
 いました。


 昭和40年代の八戸は
 どイナカで
 空手に対する
 情報は皆無!!
 私の母なんて
 カラテという言葉も
 知りませんでした。










 ゴメンネ!
 まだ、池田師範は
 出てきません。
 



つづく 

- エッセイその[13] - (5/16)
 
 ある日、出前に行くと
 その家のトナリに
 極真空手の道場が
 ありました。
 「エッ!
 なんで こんな所に?」
 と、思いましたが
 つい、2~3ヶ月前に
 引っ越してきたとの事。


 当時の私は
 朝9時から
 夜の1時まで働くという
 ハードな生活でしたので
 夜の稽古はできないなァ
 と思いましたが
 よく見ると
 壮年部という
 「昼の時間もあり」
 という事で
 さっそく入門させて
 いただきました。


 当時の
 青森支部の体制は
 今と違い
 八戸道場が本部であり
 青森支部長は
 T師範とおっしゃいました。

 当時は黒帯も少なく
 T師範が青森県内を
 すべて巡回して
 指導をしていたと
 聞いております。


 そして
 それから半年後
 私が初めて出場した
 交流試合で
 ついに池田師範と
 出会うのです。


 (すいません。
 たいがい
 おまたせしました。)
 



つづく 

- エッセイその[14] - (5/17)
 


 試合場に行って
 ドキドキしながら
 ウォーミングアップを
 していると


 【ものすごい眼光】を
 した人が


 そのへんをウロウロして
 いました。


 初めて見る人なので
 誰かわかりませんが

 審判のカッコウをして
 いましたので

 どこかの道場の
 先輩だと思い

 「押忍!」

 とアイサツしましたが
 その人は返事もせず



 「オゥ」

 と言って



 「ジロリ」

 とにらんできました。
 



 (チョーコエェッ!
   なにこの人ッ!!)



 私の心の叫びです。




 ただ者ではない殺気を
 全身にまとっており


 「寄らば斬る!」


 「こっちを
  見たら斬る!!」


 「話かけたら
     斬る!!!」


 「逃げても
    斬る!!!!」
 


 という「顔」は、年齢不詳で

 40歳にも50歳にも

 見えました。




 今、考えると
 池田師範・・・

 この時

 30歳そこそこで

 < 花の独身 >。
 




 ずいぶん

 ひどいことを

 思っていたなと

 反省してます。





 だって
 怖かったんだもん!
 



つづく 

- エッセイその[15] - (5/18)
 


 当時の八戸道場の
 先輩方に聞いてみても



 「あの人は コエェッ!」
 


 「なんも
 シャベラン もんなぁ・・・」
 


 という意見、多数。
 



 なかには

 試合の一ヶ月前に

 わざわざ八戸まで

 出稽古に来て


 八戸の道場生の

 アバラをへし折って

 帰っていったという声も

 聞きました。





 なにソレ?




 鬼のように強いと

 思っていた

 八戸道場の先輩の

 アバラを


 わざわざ弘前から来て


 『 へ し 折 っ て 』


 帰っていくなんて!





 ブルブル!!




 当時の私にとって

 弘前って


 【とんでもなく遠いところ】


 でしたので


 もうこれで

 あまり会う事も

 ないだろうと

 思っていましたが



 それから35年あまり



 まさか


 こんなに長い

 おつきあい
 (突き合いじゃないよ)

 になるとは!



 人生わからないものです。





 鬼のような先輩方を

 パクパク食べていた

 池田師範・・・




 あなたはまさに

 鬼を食う鬼と言われる

 羅刹(らせつ)でした。
 




 なお

 このエッセイは

 【 私の個人的見解に 】

 基づくものであり

 【実在の人物】 とは

 少し違う可能性もある事を

 申しのべておきます。
 



つづく 

- エッセイその[16] - (5/19)
 
 
 
 さて、
 
 ほかの道場の人に
 
 
 「言っちゃダ・メ・ヨ!」
 
 
 というエッセイ・・・
 
 
 
 
 まだつづいております。
 
 
 
 
 
 
 私が入門した壮年部は
 
 年配のかたが多く
 
 
 稽古は、
 
 キビシイながらも
 
 和気あいあいという
 
 フンイキで
 
 行われておりました。
 
 
 
 私が22、3歳で
 
 当時のT師範が34、5歳。
 
 他の
 
 年配だと思っていた
 
 先輩方も24、5歳から
 
 せいぜい40歳ぐらい
 
 だったのでしょう。
 
 
 でも、
 
 どこかの会社の社長とか
 
 なにかの会の代表とか
 
 海千山千の人たちが
 
 集まっていました。
 
 
 
 ただし、基本的に
 
 やさしい人が多く
 
 おかげで
 
 空手を続けることが
 
 できたなと
 
 感謝しております。
 
 
 
 
 
 そして、
 
 あるていど慣れた時
 
 【 夜の一般部 】 に
 
 顔を出したのです。
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
 そこは
 
 「別世界」でした。
 



 
つづく 

- エッセイその[17] - (5/20)
 
 
 
  「押忍!!」
 
 
 
 道場に入ってきた時の

 アイサツから違います。





 道場中にヒビキわたる

 叫び声で入場してくる

 男・オトコ・おとこ !?
 
 
 
 
 アレ

 俺、まちがったところへ

 来てしまったかな

 と、思って

 

 ナニか理由をつけて

 帰ろうかなと考えていると





 あの昼間はやさしい

 T師範が



 「おう、珍しい

 よく来たね!!」



 と、



 アルカイック・スマイルで

 (魔王の笑み!)

 私に声を

 かけてくれました。





 すると、どうでしょう!?

 道場中の視線が
 
 私に向かってきたように

 感じられます。






 「ヤバイ、ヤバイ
 
       ヤバイ!!」
 
 


 
 なんかおかしいと
 
 アラートが

 鳴り続けています。
 
 





 さあ、

 どうやって逃げるか!
 



  
つづく 

- エッセイその[18] - (5/21)
 
 
 
 マァ、当然

 
 逃げられるワケもなく





 
 【一般部】 稽古スタート
 

 です。
 
 
 



 
 準備運動を終え
 

 基本稽古
 

 中段正拳突きから
 

 始まります。
 
 





 「アレ、なんか違う」




 
 ペースが速いし

 回数も多い。




 息が上がる。

  




 心臓、苦しい。



 足がつりそう。



 イヤ、もうこれつってる。
 
 



 やめれるフンイキじゃない。


 休めない。










 エンエンと続く。
 








 生きながら

 何コレ珍百景を

 見れるんじゃないかと

 バカな事を思っていたら



 基本稽古、終了!





 最後に


 回しゲリ50本を


 皆、へいぜんと

 ケリ終えての事でした。







 「もう、帰りたい」








 若い頃ですよ!




 上段ケッてるつもりでも

 中段。


 へたすれば

 下段になるくらい

 疲れきっておりました。







 当時も今と同じく


 前列は黒帯。


 色帯


 白帯と順番に並んで


 先輩の背中を見ながら


 稽古を続けておりました。






 その中で

 ひときわ邪悪な

 オーラを放つ

 黒帯の背中がありました。






 Ta先輩です。
 



   
つづく 

- エッセイその[19] - (5/22)
 
 
 
 昭和のころって

 何かコワイひとが

 多かったデスネ!!



 私が若ゾウだった事も

 ありますが


 八戸の街って

 ヤクザか

 漁師かわからない

 ツッパリ・ヤンキーが

 数多く、

 たむろっておりました。



 見た目でヤバいので

 わかりやすい

 というのもありましたが


 逆に

 そうでもなくても

 ヤバいヒトもいました。



 ちなみにコッチも

 相当ヤバい! K先輩です。


 なぜ、Ta先輩とK先輩が

 同時に登場したかというと

 私が、同じ頃に

 出会ったからです。






 いろいろありました。




 あまり、

 さしさわりのない範囲で

 思い出したいと思います。
 



  
つづく 

 
- 稽古法 まとめました -
(5/22)
 
 

    ※  日々の稽古  ※
 
 にっくきコロナの
 影響で、道場稽古が
 できません。
 そこで、家でできる
 稽古法です。


 ◯ 型編

 自分のできる型、
 なんでもいいです。

 可能なかぎり
 ユックリ行いましょう。

 たとえば太極Ⅲです。

 1で
 左後くつ立ちで、
 内受けですが
 ユックリ動いて
 足の動きと手の動きを
 自分の意思で
 シンクロしてください。
 手と足の動きの
 最後を合わせる
 という事です。

 なるべく重心を低くして
 頭の位置を一定にします。

 まっすぐ、45度、90度と
 足の体幹を意識して
 行いましょう。

 1つの型で
 1分くらいかけて行えば
 今までと違う意識が
 出ると思います。



 ◯ 組手編  1
 
 ① 組手立ちで
 かまえます。
 
 ② 前の手で
 相手の胸の真ん中へ
 ストレート。
    これを10本。
 
 ③ 後ろの手で
    同じく10本。
 
 ④ これを5回続けます。
 


  ◯ 組手編 2
 
 ① 前回と同じく
 組手立ちでかまえます。
 
 ② 相手の胸の真ん中へ
 前ゲリ。
    これを10本。
 
 ③ 回しゲリで
 出来るだけ
   頭の上を狙って
    同じく10本。
 




- エッセイその[20] - (5/23)
 
 
 
 ここで、

 ちょっとクールダウン?

 して、私が空手を

 やりたいナァと

 思った話をします。





 私が

 小学低学年の時の

 ヒーローは

 「キックの鬼」

 沢村忠でした。




 キックボクシングの

 【王者】です。






 とんでもない強さで、
 
 突きの速さ、

 正確さ、

 突き刺すような前ゲリ、


 そして、

 芸術品のような

 弧を描く回しゲリ。


 さらに、

 ねらった獲物を

 逃がさない必殺技、

 「真空飛び膝蹴り」。





 これにはシビれた!!





 当時、

 立ち技格闘技では

 世界最強と恐れられた

 「タイ式ボクシング」。


 ガタイに勝る

 浅黒い肌のタイ人を

 バッタバッタと

 倒してのける姿は

 これがヒーローかと

 思わせる





 そう、

 まさにアイドルでした。







 テレビに映る姿は

 カッコいいの一言。



 ただし


 人間だれしも

 最初から

 強かったわけではない。






 大学空手の

 日本王者として

 - 我が世の春 - を

 謳歌していた彼を



 キックボクシングの

 興行主が

 さそったそうです。






 ちなみに

 私はこの頃

 小学校に

 入るかどうかの年です。





 ブームになったゆえの

 後年のいろいろな

 文献を読んで

 「あァ、

 この時代だったらアリ」

 の話だなァと

 納得しての

 フィクションとして

 読んでください。









 トバスヨ!!


 アクセル・オン!!!
 



  
つづく 

- エッセイその[21] - (5/24)
 
 
 
 さァ、挑戦を受けた
 
 「沢村忠」。
 

 いろいろ

 あったんでしょうが

 ヤッテやると

 試合開始。










 ボッコボッコに



 されたそうです。







 格闘技界に

 残るほどの

 セイサンな結果になり


 引退かと

 さわがれたそうです。



 そこで

 終わらないのがミソ!


 (若い人は

 この言い回しが

 わからないでしょう)





 失意の沢村に

 新たに指導したのが

 極真空手の某師範。






 見事な

 カムバックを果たし

 スーパースターに

 なったのですが

 「いい話」では

 ありませんか?




 当時、

 いじめられっこだった

 私が(ここ重要!)

 生きていくために

 なにをすればいいかの

 道しるべを教えてくれた。




 極真空手をやれば

 強くなれるという

 道を教えてくれた

 という事は

 私にとって

 すごい生きる力を

 教えてくれたと

 思っています。



 こんな私にも

 希望を与えてくれた

 極真空手!



 沢村忠のような

 天才だけではなく



 ガマンして稽古を

 続けてくれれば

 ダレでも花開く。


 (それが1年後か

 10年後か

 わかりませんが)


 極真空手の稽古は

 スバラシイと思います。





 ちなみに

 こんな私も

 極真空手を始めて

 36年になります。
 



つづく 

- エッセイその[22] - (5/25)
 
 
 
 さて、「沢村忠」。






 なんといっても



 『空手バカ一代』の



 大山総裁 (飛鳥拳)

 よりも先に


 アニメになった

 この人です。











 国民的アイドルになった

 この人に



 当時




 小学2・3年生だった私は






 心うばわれました。











 カワイイ弟とやった

 キックボクシングごっこ。




 かげんを知らない私は



 何度、


 母から




 シカられたことか!!













 後年



 その「沢村忠」を

 きたえ直したのが

 極真空手と


 マンガで見た私は



 極真空手への




 【 あ・こ・が・れ 】 を




 つのらせて

 いったのです。









 しかし



 アニメにも




 なったワリには






 なかなか極真空手の


 支部道場はできず









 なんとか

 「縁(えん)」が

 できたのが








 大学を卒業した


 次の年でした。
 



つづく 

- エッセイその[23] - (5/26)
 
 
 
 ここでやっと


 私の八戸道場の


 思い出に戻ります。








 私は昼の部で

 稽古スタート

 しましたので







 夜の部でソウグウした








 コワーイ、


 コワイ、


 コワーイ(しつこい)

 Ta先輩とK先輩は






 もう会わないなと








 安心しておりました。

 (あさはかな・・・)










 人間、それではダメです。










 昼の部で

 今日もキツイだろうな。



 まァ、

 死にはしないだろうと

 カクゴを決めて

 おりますと










 なんとTa先輩登場!!












 「エッ なんで?」








 と思うのも

 弱い人間のサガです。






 「マジ 死ぬじゃん!!」


 「逃げたい!!!」


 あっという間に

 始まる稽古です。







 なんか今日は

 カラダがきついわ!
 



つづく 

- エッセイその[24] - (5/27)
 
 
 
 ちなみにTa先輩。



 いかつい顔に

 堂々たるバディ!

 176㎝に

 100㎏というスペック。







 見ただけで怖い!







 そして動きは軽やか!


 カラダも柔らかく

 足も上がるし


 ヒザから先は

 別の生き物のように

 動くし

 手クセも悪いときている。


 手クセ、足クセとは

 相手の身体に

 イヤらしいくらいに

 パンチ、キックを

 当てる事を指しています。







 当時の数少ない黒帯で

 世の中に

 こんな強くて怖い人が

 いるのかと思うほど





 『ショック』を受けました。





 先頭に立って行う

 基本と、移動稽古。

 キレもいいし、うまい!

 「いつか、こんな感じに

 なれたらいいな」と

 アコがれた先輩です。




 組手の時には

 いいように遊ばれました。




 かろうじて、

 胴体の動きは

 目で追えるのですが

 手足、とくに

 ヒザから先は見えません。



 ある時、フッと消えて



 気づくと

 目の前を通過して

 いるのです。






 「マジック!!」






 人間、

 目に見えないことほど

 コワイことはありません。



 とくに、

 このころのTa先輩。



 この年に、

 全青森県大会にて

 みごとに優勝

 しておりますので

 まさに全盛期。






 このころのTa先輩と

 同じ道場で

 稽古できたことは

 本当に

 幸運だったと思います。











 当時は怖くて、



 イヤでイヤでイヤで



 たまりませんでしたが!









 (注)!

 私の主観です。

 悪口にきこえたら

 ゴメンなさい。

 無知なる私の

 ショックを

 わかってもらいたい

 だけなんです!!
 



つづく 

- エッセイその[25] - (5/28)
 
 
 
 今、思い起こすと
 Ta先輩は
 自分に課した
 キツイ稽古を
 私たち後輩には
 見せない人でした。

 天才肌の人
 でしたので
 キツイ稽古も
 すずしい顔でこなし、
 後輩の質問にも
 的確に
 答えてくれる人です。

 ただし、
 質問を許さない
 オーラを
 まとっているので、
 当時の私が
 お話できたのも
 壮年部(昼の部)という
 シチュエーションが
 影響していたと
 思います。

 私も仕事の都合で
 夜の一般部には
 2回しか行けず、
 それから
 ずっと昼の壮年部に
 通っていました。







 なんとTa先輩も
 ずっと壮年部に
 出席します。





 こっちは地獄!











 ある時、
 信じられない光景を
 目の当たりにします。

 あの強いTa先輩が
 T師範に
 足払いで倒され、
 なすすべもなく
 決めを
 入れられています。




 T師範は、
 当初、70㎏そこそで
 見た目は中肉中背。

 いまでは数少ない
 大山総裁から直接
 教えを受けた
 古参の支部長です。




 私はそこに
 極真空手の
 ソコ知れない
 神秘性を感じて
 フルえていました。




つづく 

- エッセイその[26] - (5/29)
 
 
 
 そのころ、K先輩も

 壮年部に

 顔を出しはじめました。





 ちょっと

 メンドくさいのですが


 Ta先輩は黒帯で


 K先輩は茶帯。





 ただし、

 極真空手に

 入門したのは

 K先輩が先で



 転キン等の

 仕事の都合で

 黒帯に挑戦するのが

 遅れたそうです。








 青森支部では

 まさに『伝説の先輩』で





 モノすごい人でした。





 顔は童顔で

 ヤサしそうな人です。



 身長も

 160㎝ありませんし

 体重もそこそこ!










 あまりしゃべりませんし




 イバらない。










 素晴らしい人です。






 当時のT師範が

 私の弟子の中で





 「彼は初めての

      【怪力】だよ。」





 と紹介してくださいました。












 ?


 ??


 ???


 ????


 ?????




 「なに 怪力って?」



 怪物くん?



 手足がのびるの?



 イヤイヤ、そんなことない!










 説明して

 くださったことによると




 *********


 ベンチプレスで


 自分の体重の倍以上を


 上げる人のこと。


 *********





 K先輩は

 ベンチで105㎏を

 上げているのを

 見たことがありますが





 当時の私は

 60㎏を上げるのも

 死ぬ思いでしたから

 まさに

 雲の上のソンザイでした。
 











 ちなみに

 当時の私のスペックは

 身長188㎝

 体重72㎏です。




つづく 

- エッセイその[27] - (5/30)
 
 













 
 休んでる時が勝負だ!!
 
 













 
つづく 

- エッセイその[28] - (5/31)
 
 
 
 自分では

 わかりませんが
 

 この身長は

 かなりのものでした。



 師範にしてみれば

 デッカイ 

 「ヒョロガリ」が来たぞ。


 鍛えがいが

 ありそうだぞと思い



 直近の先輩は

 ヨカ、『実・験・体』が来た

 とほくそ笑み


 同期の者にすれば

 こんなデカイだけの

 ウスノロには

 負けられないと

 燃えたことでしょう。



 マァ、これも今

 自分が教える立場まで

 【生き残った】
    ↑
 (ここ重要)

 からこそ

 思えることですが!

 ちなみに

 弟(おとうと)弟子からは

 こんなの

 すぐにコエルわ!

 と、狙われていたと

 思います。



 T師範にも

 言われました。

 「大きい人は、すぐに

 やめるんだよナァー。


 カゼあたり強いんだよ。」



 その時は

 よくわかりませんでした。



 結局、その意味は

 身をもって

 知ることになります。



 そんな私を支えたのは

 T師範の

 「この稽古を

 壮年部だから、週2回

 3年間続けることが

 できたら

 親も、まわりも

 見る目が変わるよ!

 別人になるよ!!」


 という言葉でした。













実現することになります!





 
つづく 

- エッセイその[29] - (6/1)
 
 
 
 「継続(けいぞく)は

    力(ちから)なり」

 を想い

 稽古を三年間

 ヘコヘコと続けて

 いましたら



 なんと


 あのコワーイ、

 コワーイ、

 恐い、

 池田師範が

 (当時は師範代でした)

 声をかけて

 くださったのです。



 声を出すのが

 不自由な方(失礼)



 かと思うほど



 カモクな方の

 お声がけは


 空手をやっていて

 ヨカッタ!

 と感動しました。




 なんせ当時は

 家電(いえでん)

 しかなく

 ビデオも

 限られた人にしか

 ない時代です。




 青森支部の中の

 分支部の情報も

 ほとんどなく



 文字どおり

 分支部道場の

 交流を狙いとした



 『交流試合』 と



 (これは

 黒帯の参加はなし

 審判は

 県内の上級者)








 『県大会』 。



 (黒帯も参加し

 審判は

 T師範の

 知己の支部長
    ↑
 元 全日本

 チャンピオンを含む)







 スゴイ時代

 でしたね!!

 私も経験した頃の

 ことです。


 当然、参加選手

 (私も含む)は

 ピリピリしており


 私のような初心者は

 猛獣のいるオリに

 入れられた気分で



 もう、

 まいったものです。



 その中で

 Ta先輩の

 堂々たる態度は

 別格で

 全日本大会を

 経験している人は

 どこか違うと

 感心していたものです。




 前述のように

 各分支部の

 情報共有は

 T師範と

 池田師範代の

 ふたりだけで



 強い弟子を

 育てるために

 全日本に通用できる

 人材を育てようと

 していたのではないか!




 その熱意の表れが

 池田師範代(当時)の



 【各道場、強い人の

   連続アバラ折り事件】の



 引き金 www に

 なったのでは

 ないでしょうか!!




 ちなみに

 私のところには

 来・て・おりません!!!








 ヨカッタ、

   ヨカッタ!!!!




 
つづく 

- エッセイその[30] - (6/2)
 
 
 
 しつこいようですが





 だから


 そういう人に
    (池田師範)

 声をかけられるのは



 大事(おおごと)な



 ワケですよ!









 ちなみに今でも

 LINEで話すほうが

 多いです。














 さて、

 話は昔にもどります。






 やはり

 空手を学ぶなかで

 つらいのはケガです。




 「ケガも

  人生のなかで

      財産のうち」




 と思えるように

 なった私は
 
 変な人だなと思います。




 ただし、生きていく上で

 なにがしかのケガの

 リスクはありますので


 こういう経験も

 「アリ」

 だなと


 確信しております。













 K先輩との

   組手の時でした。






 右上段回しゲリ!



 反射的に、

 左の顔面をガード。







 ここまでは

 良かったのですが



 なんとK先輩、


 ここで

 ストップモーション。



 私の手が下がります!



 結果、


 指の先に

 『 ハイスピード 』 の

 回しゲリが

 叩きこまれます。





 左右の指、5・6本は

 もっていかれたと

 思いました。










 なんという

    ショーゲキ!!















 ヤバ、仕事どーする!?






 と、思いましたが



















 「ツキユビ」


 ですみました。
















 セーーーーーフッッッ!!!











 だけど、相当イタいです。


 K先輩、

 チッチャイ人(失礼)

 ですが

 ゴムマリのような人で

   (スーパーボール)

 文字通り、飛んできます。





 しかも、角度をつけるし


 パンチ力、ハンパない!




 ウデの骨、

 折られるかと思いました。




 拳が肉を通りこして

 骨を直接

 「タタいて」くるんです。




 この時はT師範、

 あわてて

 止めにはいって




 「なにヤッテるんだ!」




 と言ってくれましたが



 K先輩、




 「軽くヤッテます」




 と、平然としています。








 考えてみると

 この人に

 一番

 ケガ負わされたなァ!




 
つづく 

- エッセイその[31] - (6/3)
 
 
 
 すっごい事がありました。








 K先輩が

 私を実験台に

 していた時の事。








 ① K先輩、

   中段回しゲリを

   フェイントで出す。







 ② 相手が反応して、

   受けを取る。







 ③ 受けを終わって

   元のかまえにもどる。







 ④ そこへ、すかさず

   中段回しゲリを

   決めるために出す。







 という、

 フェイントからの

 コンビネーションが

 ありました。










 それに対しての

 私の反応です。







 ①の回しゲリに、


   (当然、イタイのは

   イヤなので)


   必死に手足を

   動かして

   受けようとします。











 しかし、あまりにノロい!











 こちらが

 動きを始めようと

 する前に





 K先輩の

 ②と③のフェイントが、

 とっくに終わり





 ④の必殺、回しゲリが

 恐ろしい音を立てて

 来た!

 という瞬間












 ここでようやく、






 ①のフェイントに


 反応した


 私のヘナチョコな受けが


 サクレツしました。
















 見た目には、
 
 完ペキな「ブロック」。













 超スピードをもつ



 さしものK先輩も




 目を白黒させています。














 ・・・これを



 「過ぎたるは

 およばざるがごとし」・・・



 と言います。














 まさか、私が


 こんなに「ノロい」


 反応をするとは


 思わなかったK先輩。







 ものすごいスピードで

 繰り出した技を





 私がきっちり

 フェイントに反応して

 <ブロック!>したと







 本気で思ってました。














 ノン、ノン、ノン、



 真実は「マグレ」です。







 ただし、

 最初からあきらめて

 動かなければ



 「活路」 は開けなかった

 と、思った私でした。
















 アバラ、

   折られなくて

      よかった!!




 
つづく